今出川天文通りに太陽・月・星を訪ねて1(晴明神社)
晴明神社は、安倍晴明を祀る神社です。晴明神社がある場所は、かつて晴明が住んだ屋敷跡にあたります。晴明神社は天文との関わりも深く、境内で太陽・月・星のモニュメントを見ることができます。
晴明神社
映画等でのイメージが強い安倍晴明ですが、晴明は平安時代の律令制において易・天文・時・暦を司る「陰陽寮」の要職を歴任し、天文分野のトップである天文博士にも就任した人物です。晴明以降、天文博士は安倍氏(後の土御門家)による世襲職となりました。上の写真は晴明神社の安倍晴明像です。晴明神社の公式サイトによれば、夜空を見上げ、天体観測をしている様子を表しているそうです。
堀川通側の一の鳥居から境内に入ると、二の鳥居前の両脇に日月柱が立っています。柱の上には奉納された日(太陽)と月の彫刻が据えられています。月と日は陰陽の象徴とされ、参道の南側に「日」、北側に「月」が配されています。日月柱の建立は平成24年ですが、使われている柱は(この後紹介する)四神門の旧門柱として使われていたもので「明治37年9月晴明公九百年祭紀念」との記載があります。
参道の南側に立つのが日(太陽)の彫刻です。石柱には「日」と刻まれています。彫刻は完全な球形をしています。材質は赤色の花崗岩のようです。
参道の北側に立つのが月の彫刻です。石柱には「月」と刻まれています。こちらは三日月型をしています。日(太陽)の彫刻と材質は同じです。
日・月と紹介したので、次に星を紹介します。星については晴明神社のいたるところで目にすることができます。というのも、五芒星(晴明桔梗)がこの神社の社紋となっているからです。五芒星は、陰陽五行説を構成する木・火・土・金・水の5つの元素の象徴であり、魔除けの効果があるとされています。また、五芒星は桔梗(キキョウ)の花がモチーフとなっているともされ「晴明桔梗」とも呼ばれます。そのため桔梗も晴明神社の象徴となっていて、境内には多くの桔梗が植えられています。
こちらは提灯に描かれた五芒星(晴明桔梗)です。ほかにもあちこちで五芒星を見ることができます。五芒星があしらわれたお守りやお札もあります。
二の鳥居のすぐ後ろには四神門があります。扉があいている状態のため分かりにくいですが、鳥居のすぐ後ろにある2本の柱が門柱になります。安倍晴明がここに住んでいた当時、朝廷の使いが訪れると四神門がひとりでに開き、門から出ると閉まったとされる伝説が残っています。伝説にちなみ、現在は「電動」で開閉するようになっているそうです(晴明神社の公式サイト)。
北側の門柱には、東面に青龍、南面に朱雀が描かれています。
南側の門柱には、西面に白虎、北面に玄武が描かれています。
四神門を抜けた右側には晴明が念力により湧出させたとされる井戸、晴明井があります。病気平癒のご利益があるとされています。
晴明井の足元には、北斗七星の形に石が埋め込まれています。この形に添って歩みを進めることで場を浄化する効果があるとされています。(興味のある方は「禹歩」「三歩九跡法」などで検索してみてください)。
参道の突きあたりが本殿(拝殿)になります。こちらの提灯にも五芒星(晴明桔梗)があしらわれています。最初に紹介した安倍晴明像はこの本殿向かって左側に鎮座しています。
ここから先は天文とはあまり関連がありませんが、晴明神社のその他の見どころを紹介します。
かつての一条戻橋を、先代の一条戻橋に使われていた石材を使って再現したミニチュア版レプリカです。実際の一条戻橋は晴明神社の南100mほどの堀川にかかる橋で、最近では1995年(平成7年)に架け直されました。その際に出た石材を使って再現されたのが境内に設置されたこの橋です。一の鳥居をくぐった左側にあります。
一条戻橋は歴史が古く、数々の伝承の舞台となっています(Wikipedia)。そのひとつが、晴明が使役した式神を妻が怖がったため、普段は一条戻橋の下に住まわせたというものです。橋の左側にあるのがその式神を再現した石像です。
「厄除桃」です。陰陽道において桃には魔除けの効果があり、この桃を撫でると厄が落とされるとされています。
御神木の楠です。立て札によると推定樹齢300年とのこと。
交通案内
晴明神社へは京都駅からバス(一条戻橋晴明神社下車すぐ)、もしくは地下鉄今出川駅より徒歩約11分です。